俊ちゃんニュースレター翔牛(しょうぎゅう) 第18号 平成18年6月8日
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ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室
1位作りのための経営改善の手順(4)〜経営の構成要因のウェイト付けをする〜
経営の目的は、お客を作り出し、そのお客を維持しながら、さらにお客を増やすことにあります。そのためは、経営の構成要因を明確にする必要がありますが、構成要因を並列的に並べるだけでは実効は期待できません。そのウェイト付けをする必要があります。ランチェスター法則を使って計算すると以下のようなウェイトが出てきます。似たものはまとめると以下の4項目になります。
1 営業関連 営業地域 業界、客層 営業方法 顧客維持
53%
2 商品対策 27%
3 組織対策 13%
4 資金対策
7%
営業関連と商品対策は広い意味のお客つくり関連(外部関連)と考えると、80%となり、組織と資金は内部関連で20%となる。つまり、お客つくり関連(外部関連)対内部関連は80対20の比になる。
また、営業関連対商品関連は2対1になります。つまり、商品(力)3分に、営業(力)7分ということになります。もの(商品)がよければ売れるというより、売り方(営業力)がよければ売れるということです。
雑情報
その1 今日はどんな日
6月2日 本能寺の変 1582年(天正10) 明智光秀の謀反により、天下統一を目前にした織田信長は志半ばで49歳を一期に自刃。信長は天下統一後、大艦隊を編成し当時の世界の二大強国スペイン、ポルトガルに対抗して、東南アジアはもとより、朝鮮、明国(中国)の征服を企図していた。そのために、羽柴秀吉を筑前守、明智光秀を日向守(前者は今の福岡県、後者は宮崎県でいずれも九州の国名)に任じたといわれています。
もし本能寺の変が無く、信長があと10年か15年生きていれば、それは実現したと思われます。その8年後(1590年)には豊臣秀吉の天下統一が成り、10年後(1592年)には朝鮮出兵したのですから。信長だったら秀吉よりはうまく早くやれたのではないでしょうか?
その当時の日本の軍事力は、戦国時代100年を勝ち抜いた精強兵100万と、当時の最先端兵器たる火縄銃の世界最高水準の所有量と、その用法、使用習熟度は、スペインやポルトガルを優に上回り、当時世界最高、最強の陸軍国だったと思われます。これらを総合して考えれば上記の構想はあながち妄想とはいえないというより、実現可能性は限りなく100%に近いものだったと思われます。
そうすればスペイン、ポルトガルという当時の2大強国に匹敵するか、あるいはそれらを上回る大日本帝国が出現していたことでしょう。その結果、中国、朝鮮はもちろん、ひょっとすると大英帝国もアメリカも無かったかもしれません。そうすると今の世界は・・・などと考えると、面白いというより、残念!
その2 彼は言った・・・
われわれはあくまで理性に従うほどの力はもっていない。 (ラ・ロシュフコー箴言集)
小さなことに熱中しすぎる人は、概して大きなことが出来なくなるものだ。(同上)
人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。(同上)
事務所便り 今月は特別のことはありませんでした。
編集後記
入梅前後のこの時期は、肌寒かったり、蒸し暑かったりで、過ごしにくい時期です。幸いなことに、通勤電車の混雑だけは免れていますので、世の多数の方々に比べると、文句は言えないのかなと思ったりします。